私がブログで押し紙の問題をとりあげたのは比較的早かった。その後、週刊新潮でも取り上げられたし黒藪氏の前述の著書も上梓された。
恐怖と名づけたのにはわけがある。
なんといってもこの問題を取り上げるということは新聞社・系列のテレビ・ラジオ・週刊誌・出版社やお抱えの評論家全てを敵に回すということだ。
以前の当ブログで折込を減らしたり、押し紙を取り上げたりすると新聞に何を書かれるかわからない恐怖を述べた。
まさか?・・・と思われるが実例があるのだ。
実例1、
毎日新聞はその記事において黒藪氏の肩書きを自称フリーライターとまるで怪しげな犯罪者であるかのように報じた。黒藪氏が押し紙問題を取り上げているが故である。
実例2.
内閣府には良心的な公務員がいるようだ。国民の税金を少しでも無駄にしないように政府広報を少なめに織り込んだ。08年1月17日のことだ。これを読売新聞は公務員の怠慢のように紙面で報道したのだ。黒藪氏は新聞の恫喝に屈するような人物ではないから、さておき、公務員氏には同情を禁じえない。
自分が国民のためにしたことを全国紙で叩かれる恐怖を想像してください。この善良な公務員氏の地位・立場が傷ついていないことをただただお祈りするばかりである。
何よりも恐怖なのは新聞の紙面に「報道」としてなされたことである。
*以上は:「押し紙」という新聞のタブー 黒藪哲哉著 宝島社新書 に詳しい。